花岳寺通商店街 土曜夜店のルーツ

花岳寺通商店街 土曜夜店のルーツ
土曜夜店のルーツ。「バンカル」の記者で鷹居さんにまとめていただいた文章から自分なりにまとめてみました。元岡呉服店のおじいさんが丁稚奉公先の大阪から戻り呉服店を始めたのが花岳寺通商店街の始まりのようです。大阪での夜店のにぎやかさが忘れられずに昭和2年6月に店主仲間が花岳寺に集まり(その時の写真が残っています)夜店を始めたそうです。最初は戸板を並べて野菜を売り、露天商も参加するようになったようです。戦時中(昭和16年ごろから)は中断昭和25年ころから復活をして元岡呉服店のお父さんが一六夜店を始めたようです。このころ(昭和27年頃)から私の父も参加するようになったかもしれません。女形をした写真がたくさん残っていました。花岳寺境内に大きな舞台を組んでいました。昭和35年ころからテレビの影響で客足がおちたのですが昭和40年頃に復活。昭和47年3月24日付の毎日新聞には「伝統を誇る。一六夜店」の記事と写真。昭和48年6月21日付の読売新聞には「テレビより綿菓子の味 毎回4千人でにぎわう」とあります。夜店の回数が多すぎると、昭和50年頃に土曜夜店になったようです。私が生まれる前から夜店があったわけで、小さなときには、子供踊りに駆り出され、店も夜店の時は夜遅くまで忙しく、良い思い出はありませんでしたが100年目まではやめられそうにありません。